1月の作業帖|「看病する」という作業が教えてくれたこと

わたしの暮らしに大事なもの

こんにちは!管理人のハルです。

2026年からはじめた、日々の作業を記録する「1日1投稿」。
続けられるかどうか不安いっぱいではじめたチャレンジも、1か月投稿することができました。

今回は1月の投稿の中から一番印象深かった作業を選び、その作業に込められた意味を振り返ります。

一番印象深かった「看病する」作業

1月の作業を振り返ると、「看病する」という作業が一番印象に残っていました。

子どもが熱を出し、いつもなら3日ほどで下がる熱が下がらない。
5日を過ぎてもまだ下がらない。
治るまでには思っていた以上に時間がかかり、先が見えない状態が続いていました。

「看病する」という作業は、誰かを気にかける作業
親として、”大丈夫だろうか” ”このままでいいのだろうか”と不安や心配が駆け巡り、でも本人が一番つらいはずだからと、その不安を飲み込んで、静かに疲れがたまっていく。

「看病する」という作業は、正直に言えば、疲れも不安も増していく作業でした。

日々関わってくれている人たちからの言葉

そんなときにもらったのが、いつも子供がお世話になっている人たちからのことば。

大丈夫?
もうちょっとだから頑張ろうね
みんな元気になって来るのを待ってるよ

先の見えない状況、ずっと家で看病していなければいけない閉鎖された環境。そんななか、いつも子供がお世話になっている人たちからの言葉は、いつもの日常を思い出させてくれる、日常に繋げてくれる存在でした。
そして、日常を思い出すことが、不安を少しずつ減らしてくれていたことにも気づきました。

わたしにとって「看病する」作業に込められていた意味

わたしにとって「看病する」という作業は、親としての責任を引き受ける意味、いつも関わってくれている人や、健康であることそのものへの感謝を再認識する意味がありました。

私の場合はそうでしたが、看病する相手は誰なのか、どんな状況なのかによって、同じ「看病する」作業でも持つ意味は変わってくるでしょう。あなたなら、どんな意味をもつでしょうか?そんなことを考えるきっかけになれば嬉しいです。

来月も、日々の作業を記録していきます。

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